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月末は「普通」だったか〜『羊の木』〜

月末くんはすごい。

『羊の木』関連で書くのはこれで4つ目ですが、やっと月末くんメインで書きます。

まず最初に頭をいっぱいにさせてくれたのはあの人(ネタバレになるので自粛)なんだけど、でも、彼がそれほど際立ったのは、間違いなく月末くんの「普通さ」が抜群だったおかげなんですよね。

というわけで、またネタバレしかない『羊の木』感想です。未見の方はまたどうぞ〜。

(以下、セリフはうろ覚えのまま書くので、ほぼニュアンスでとらえてください)

出会いのシーン

まず月末くんのすごいところは、6人の転入者を迎えるにあたり、同じセリフを繰り返すところ。

「魚深はいいところですよ。人もいいし、魚もうまいし」

これを、臨機応変の「り」の字もなく繰り返すのが月末くんだ。いつも遠慮がちな笑顔を浮かべて。

見ている側としては、回数を重ねるにつれてだんだん大喜利感覚になってくるのだけど(私だけか)、月末くんのこの唯一無二のおもてなしに対し、普通に返してくれるのは宮腰だけなんである。

ほかの元受刑者たちは大体、新しい環境に戸惑っていたり、そもそもが寡黙なキャラクターだったりして、ろくに返事を返してくれない。

後になって考えれば、出所したてで余裕がない方が元受刑者として当然だし、その点でも宮腰が普通でなかったことがわかる。

月末と田代

そして月末くんは、ひじょーにマジメなんである。

上司命令がなんだかおかしいと思っても、とにかく言われた通りに遂行しようとがんばる。けなげだ。

そこを際立たせてくれるのは、同僚で後輩の田代だ。

彼は、月末の動きが妙だと勘付くなり上司のパソコンを盗み見るなど、月末とは真逆の行動力を発揮する。

さらに象徴的なのはのろろ様への態度。

祭典の準備のためにのろろ様の点検でもしたのか、「錆だらけでしたよ」という田代と、子どもの頃の言い伝え通り、あまりのろろ様を見ないように言う月末。

そんな月末に「マジすか」とあきれるところまで含め、田代は前半で、月末の生真面目ぶりを伝える役割をよく果たしてくれている。

必殺「友達」

そして後半、宮腰の異常性が明らかになる。

月末に対する宮腰の必殺技はこれだ。

「友達として」

これは、月末が文に宮腰の過去を暴露してしまったところから強烈に効いてくる。

しかも嫉妬にかられて、感情的に。

公務員としても、ひとりの人間としても、良心のかたまりである月末には耐え難い罪悪感だったはずだ。それをすぐ本人に打ち明けて謝るのもさすがだが、その謝罪に対して宮腰から飛び出したのが、

「それは友達として?」

という問いだった。そして、それを月末が肯定すると、宮腰は「それならいい」と許したのだ。

これはもう呪いだ。

他人の過去を勝手にさらすという、公務員としても、人としても恥ずべき罪。それを「友達として」許された瞬間、宮腰の「友達」でいることがせめてもの贖罪になったのだ。

だから私は、月末が宮腰を本当に友達だと思っていたかは微妙だと思う。

しかし、月末が宮腰と友達でなければいけない状況に追い込まれたのは確かだ。

最後のシーン

崖で2人がもつれ合う緊迫のシーン。

あそこで、月末と宮腰を、ものすごくシンプルに、善と悪という二項対立にするためには、月末が宮腰に投げかけた、

「俺たち友達だろう?!」

というセリフの存在が大きかったと思う。

正論すぎて、日常生活ではまず言わないクサいセリフだ。それを、ギリギリの場面で月末が叫ぶ。

そこに真実味を持たせるためには、月末のまっすぐさ、生真面目さが必要不可欠だった。

しかもここに至るまで、月末はじわじわと宮腰に「友達」の呪いをかけられ、不気味な圧力で追い詰められていた。

これから家に宮腰の件で文が来るはずだというのに、帰ってほしいとも言えず、結局宮腰を優先させてしまうあたりにもそれが出ている。

たとえ罪悪感をきっかけにしていたとしても、月末は月末なりに、懸命に「友達」であろうとしていた。それなのに裏切ったのは宮腰だった。

「友達」を要求してきたのは宮腰だったはずなのに。

その衝撃があの叫びにつながった。

ここまでの月末に、自分の考えや感情を主張する場面は少ない。むしろ自己主張をしない、自分の立場を明らかにしないことでしのいでいる姿が、彼の平凡さを印象づけている。

しかし、凡人だからこそ良心があり、良心があるからこそ罪悪感に悩む。月末は、いつも真正面から宮腰という人間に向き合っていたはずだ。

セリフになっていないその月末の葛藤を、錦戸くんはどれだけ読み込み、演技に思いを込めたのだろう。

普通ではない

錦戸くんの演技は、「普通」がうまいとよく評されている。

確かに、あのとんでもないイケメンが、オーラを消し、すんなり公務員を演じていることは信じがたい偉業なのだけど、彼が体現している「普通」は、存在感の薄さとか、茫洋とした平凡さではない。

それは錦戸くんが本来持っている、実に常識的な倫理観であり、公明正大であろうとする潔癖さ、そして真正面から物事にぶつかる生真面目さだ。

そして、ときにそれを持て余す葛藤。

彼のその高潔で不器用な生き方が、公務員であり、生きるのに不器用な一般人を演じるのにぴったりハマってくるんだと思う。

きっと、錦戸亮演じる月末が届けてくれるのは、ただの「普通」ではない。

不器用に、無様に戦う、私たちの人生そのものなのだ。

のろろ様がくれたもの

それにしても、友情、恋仇、裏切り、罪悪感、ときて、こりゃだいぶ純文学っぽいな、と思ったら、あれだ、『こころ』にそっくりなんだ。

夏目漱石の『こころ』。高校の国語の教科書にたいてい載ってるアレ。

『こころ』に出てくる先生は、恋仇であった友人Kを裏切って、お嬢さんと結婚するのだが、後々その罪悪感を背負って生きていくことになり、挙げ句の果てに自殺してしまう。(懐かしいな!)

月末だって、あの生真面目さからすると、自分が宮腰を死に追いやったと思い詰め、かなりメンタルが参ってしまうことも十分にありえるはずだ。

でも、きっとそうはならない。

彼なりに宮腰の事件に区切りをつけ、明日に進んでいくことが、なんとなくイメージできる。

それは文の「ラーメン」のおかげでもあるけれど、いちばんの救いになったのは、やはりのろろ様だ。

あの強烈なのろろ様の「答え」。

人の手の届かない領域を感じさせる、あののろろ様の裁きが、月末にも、見ていた私たちにも豪快に結論を出してくれた。

それは間違いなく救いだったと思う。

そしてのろろ様があまりに大胆でシュールだったおかげで、宮腰にも救いになっていたような気がする。

来世では、どうか幸せな生を送れますように。

私は普段生まれ変わりをそれほど信じてるわけじゃないけど、なぜかすんなりそんな気持ちになれた。それはきっと、あののろろ様のファンタジー性のおかげだ。

それに、これからもそれぞれの日常を生きていくことを予感させる、元受刑者たちの姿。

エンディングの「DEATH IS NOT THE END」が見事にハマる、すべての「続き」を感じさせる、見事な幕切れだった。

以上、思いつくままに書いてきましたが、一回しか見ていないので、思い込みや読み違いがあるかもしれません。

でもこんなにいろんなことを想像させてくれる作品に出会えたことを幸せに思います。

あー面白かった。