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「あー面白かった!」を書き残すブログ

信用できない彼女〜『羊の木』〜

見に行ってから1週間経ってもまだ書けます、『羊の木』。

もちろん細かいことは忘れてきてるし、もしかしたら脳内で都合よく変換してる部分もあるかもしれないけど、たくさんの忘れられない場面がモザイク状にフラッシュバックしてます。

キャラクターがそれぞれシンプルで個性的だし、いい具合に隙があるんですね。余白と言い換えてもいい。

その余白があるから、こちらが思いをめぐらす余地がある。

だけど私には、そんな登場人物たちの中に、「余白ありすぎだろう!」ともの申したい人物が!

毎度言ってますが、以下ネタバレしかありません。ご了承の上、先へお願いいたします。

信用できないあの人

はい、太田ですよ太田。優香演じる欲情型元受刑者。

私は彼女がまったく信用できない。

宮腰の方が、杉山の方がよっぽど信用できる。

宮腰は瞬間瞬間で本気しかない人間だろうし、杉山は杉山でやりたいことがわかりやすい。

ところが太田ときたら。

ぽーっとした感じでいながら、施設で歯磨きしてる老人に突然欲情して背後から胸を押しつけてハアハア言い出した。

な、ん、で!!

この辺、まったく説明がない。ドラマの余白を愛する私ではあるけれど、それにしたってわからない。

しかしまあ、百歩譲って、いや一万歩くらいは譲ってよしとした。よくないけどいい。そういうキャラなんだって無理矢理理解した。

だが恐ろしいのは、彼女がそれを愛だと言い出したことだ。

しかもそれをきっかけに月末に打ち明けた罪状のクセが強すぎる。

完全にそっち寄りの人だ。なんというか、本能寄り

なのにこの太田が、

「罪を犯した人間は幸せになっちゃいけないんですか」

などといちばん理屈っぽいことを言い出すからもうお手上げだ。

愛とか恋とか

なぜお手上げか。

この作品で愛だの恋だのといえば、主人公月末と同級生文、そしてあのクレイジー宮腰くんの三角関係だ。

その辺は以前に書き倒したとおり、あれこれ想像できる楽しみがある。

だが、太田の「愛」は無理だ。

あの、「施設でハアハア」事件が語るのは、太田は感情と行動が直結した人間だということだ。つまり、太田はしたいと思ったことを迷いなく実行できるタイプなのだ。理屈抜きで。

一方、月末は何も語らないし、行動を起こさない。行動に出せない人は、大概頭の中で饒舌だ。まあ自分がそうだから、勝手に親近感を感じてるだけかもしれないけど。

にしても、あの太田の思い立ったら即行動ぶりには、「愛」だなんて観念的な言葉はどうもしっくりこない。

もちろん、感情が行動になったら愛ではないと言う気はない。

そうではないんだけど…性急に行動を起こす人は、同じだけの性急さでそれを終えるのではないかという不安が残る。

いやそれはこちらの勝手な心配だ。

あくまできっかけがそうだっただけで、続く愛情もきっとある。

だけど、だけどさ!たいがいの恋多き人って、好きになるのも早ければ、冷めるのも早くありませんかね?!

ああ、まさに「信じるか、疑うか」。

ここにきてつくづく、名キャッチコピーだと思う。

しかも、クライマックスの、あの壮絶な宮腰と月末の一騎打ちのあとで、太田と月末のお父さんが寄り添う図が出てくる。癒しっぽく。

…ああ、これも明るい未来を感じさせるひとコマ、ってことかな…。

なんとなく、流されるように強引に、幸せを予感させられてしまう。

…いや、そうでもないか?!やっぱり疑わしいなと思ってたかも私!?

信じられる人

一方、私にとって非常に信頼性が高いのが大野だ。

彼が最後に笑顔を見せた。クリーニング屋の奥さんにせっつかれて、ぎこちない笑顔を見せた。

それまでにこりともしない彼だったからこそ、印象的な場面だ。

演じた田中泯さんも、実に凛としたたたずまいの方で。私は『メゾン・ド・ヒミコ』での彼しか見たことないのだけど、そこでも立ち姿の美しい、毅然とした存在感を放っていた。

そして、この大野も、とにかく心情を語らない。

どうやら過去には暴力団にいて、その関係で人を殺めたらしいが、出所後に組のものが迎えに来たけど、彼自身はいっさいそっちの過去は語らない。

クリーニング屋の奥さんに「辞めてもらう」と言われたときも、自分の心情をひとつも語らず出ていこうとする潔さだ。

だからこそ、にじみ出るものに説得力がある。

その点で、大野と太田は非常に対照的でおもしろい。

信じるか、疑うか

とはいえ、現実的に考えたとき、大野の未来もけして明るいとは言い難い。

客の来なくなったクリーニング屋の行く末も心配だし、「あとで泣きついてくるなよ」と捨てぜりふを吐いて去った組員も気になる。

そういう点で、またはまったくちがう視点から、大野を信じられない、という人もいるのかもしれない。

いちばん平和そうな福元だって、酒乱という、おそらく治る見込みのない爆弾を抱えている。私は彼と床屋の主人の平和を心底願っているが、どうしても不安が消えない。

この作品のおもしろいところはまさにそこだ。

信じるか、疑うか。

見るものは常に試されているし、作品を通して自分の価値観も見えてくる気がする。

人を殺す、という極限の行為。それを行った過去を消すことはできない。それぞれに、それぞれの形で、人を殺した経験は染みついているに違いない。

そして、一度できたことは、一度もやったことがないことよりも、いちじるしくハードルが下がる。一度できたら、またできる。まるでさかあがりのように。

それでも信じられるか。

そう問われたら、私は簡単にうなずけないし、だからこそいちばんハートが強いのは、太田を信じた月末のお父さん、亮介なのかもしれない。

よそ様のブログを読んでハッとしたのだけど、将来の介護も考えて、という打算的な部分もあるのかもしれない。

しかし太田はかつて情交中に相手を絞殺しているのだ。もし同じようなことが起こるとしたら、今度その相手は自分になるのかもしれない。そういう立場に自ら立ったのは、彼だけだ。覚悟を感じる。

月末くん。君のお父さんは強いよ。

差し込む光

この作品は、月末と宮腰と文、という3人だけで十分に成り立つ要素を持っている。

だけどそこに元受刑者5人による群像劇の要素があることで、物語がふくらみ、奥行きが増したことは確かだ。

個性豊かな元受刑者たちが、それぞれにメッセージを発し、あるいは何も発さずにただそのたたずまいを見せる。

そして彼らの生活は終わらない。続いていく。

宮腰一人を見ればけしてハッピーエンドではないのに、最終的に、宮腰以外の元受刑者たち生き様が光となって差し込んでくる。

「羊の木」というモチーフを提示してくれた栗本の存在も大きい。彼女は数少ない言葉が重要なファクターになっていた。ぶっきらぼうな「また会える」がふとしたときに蘇る。

以上、私に終わらない爪痕をくれた『羊の木』。感想記事もさすがにこれで打ち止めになるかと思います。

あー面白かった!