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【モンテ・クリスト伯】原作との相違点から考えるラストシーン

昨日、大阪で大きな地震がありました。そちらにお住まいの方々、家族や友人がいらっしゃる方々は、今も余震に不安を感じながらお過ごしかと思います。

大阪は、私にとって2回しか行ったことのない縁遠い地域なんですが、関ジャニ∞を好きになって、ブログつながりでそちら方面の方を知ったりして、以前よりも親しみを感じてまして、とても気にかかっています。

早く平穏な日常が戻るよう、お祈りしています。

ちなみに、我が家も近くに震源の空白域を抱えているんですよね。家の備えも改めようと思いました。

そんな中で恐縮ですが、ほぼ出来上がっていたモンクリ最終回についての記事をあげさせていただきます。

西郷どんのことも書きたいしね!

原作とドラマの相違点

前回は、原作とドラマの共通点を並べてみましたが、今回はその逆、相違点を見ていきたいと思います。

たとえば、原作を読んで、まず私がすっきりしたことは、「モンテ・クリスト」の名前の由来です。

原作ではモンテ・クリスト島というところに財宝が隠されていて、それを元手に主人公ダンテスが巨万の富を得るんですね。それでモンテ・クリスト伯と名乗るようになった。

でもドラマで、暖が莫大な財産を受け取るのはスイス銀行。「the Count of MONTE CRISTO」とやたら流暢にしゃべってましたけど、あれって口座の名義だったかな?? 

ほかにも原作とドラマでは、ダングラール(神楽)やフェルナン(幸男)の家族構成や、エロイーズ(瑛理奈)が自殺のときに息子を巻き添えにしたかどうかとか、少しずつ違いはあります。

しかし、作品の印象にもっとも大きく影響したのは、導入部とラストシーンの違いだったのではではないでしょうか。

導入部

ドラマ最終回で、幸男が飲んだくれてクダ巻いてるとき、「すみれを取り戻した」と言っていたのがあとあと気になったんです。

あれ? 暖より幸男の方が先にすみれと親しかったんだっけ?

それで即Twitterで、昔暖が引っ越してきたらしいよ、ということを教えていただいたんですが(ありがとうございました!)、ドラマ第一回を確認したら、たしかにそのことが描かれてます。

原作では、こう書かれていました。

エドモン・ダンテスは、15、6のころから商船に乗ってあちこちの港をわたりあるく海の男で、船と海のことならなんでも知っているが、政治のこと、世間のことは、あまりよく知らなかった、というのです。

ちなみにダンテスは見た目もよく、背が高く、美しい目と黒い髪のたくましい青年とも書かれています。

だから、容姿や能力には恵まれていたものの、あるいは満たされていたせいか、そうじゃない人の感情の機微には鈍感だったというわけです。

それが、ドラマでは最終回の「頭の悪そうな男」発言につながります。

そして原作では、航海士としての優秀さでダングラールに、メルセデスと結婚することでフェルナンに、大きな嫉妬と恨みを買っていることが明らかにされています。

その結果、ダンテスに無実の罪を着せるための匿名の手紙を書いてわざと投げ捨てたのはダングラール。でもその手紙をこっそり拾って、実際に投書したのはフェルナンなんですね。

つまり、ダングラールが企てた悪事に、まんまと引っかかって実行してしまったのがフェルナン。(一応その場にカドルッスも同席)

でもドラマでは、そこが不透明でした。

匿名の電話をかけた場面は直接描かれませんでしたし、神楽と幸男の、暖への嫉妬や恨みを明確にセリフにしたシーンも無かったと思います。暖を煙たがる様子を匂わせてはいたけど。

だやはからキャラがわかりやすかったのは寺角センパイくらいで(笑)、ほかは誰が善人で誰が悪人なのかはっきりしない第一回でした。

不透明にすることの効果

だから、原作を知らずに第一回を見ていた私としては、これは犯人探しのサスペンス仕立てなのかな、と思いました。

それを徐々に暖=真海が暴いていく、という流れなのかなと。

でも違いました。

暖はもともと賢い人間で、ファリア真海にハメられたことを示唆されて、事の次第をつかんだようですよね。原作でもそうでした。

真海となった暖は、過去のすべてを知った上で、復讐の画策を始めたというわけです。謎解きはすでに済んでいた。

ただ、初回で登場人物たちが心の内をあかさなかったことで、誰が敵か味方かわからない、不穏な幕開けになったことは確かです。

結末

そして結末の違い。

原作では、ダンテスの復讐により、家族に見限られ財産を失った結果、ダングラールとビルフォールが発狂、そしてフェルナンは自殺します。

しかしドラマでは、入間だけが発狂し、神楽はしぶとく生き残ります。幸男は、一度は自殺を試みるのですが、江田愛梨に助けられてしまう。

ここが、いちばんの違いだと思います。

幸男のキャラクター

私にとって、特によくわからなかったのが幸男でした。

初回から、幸男は陰のある表情を見せてはいたけれど、はっきりした悪意や憎しみは出してこない。ショーンを裏切った話でも、まさか死ぬことまでは考えていなかったようです。

そして自殺に失敗し入院してから、自分を殺そうとしたすみれをナイフで脅し、真海のところに向かうんですが、結局途中ですみれを解放。

最後は火を放った真海を助けようとして包帯ぐるぐるになりますが、そのわりに「許せない」という。

全部中途半端!!

原作ともっとも違うのが、この幸男のキャラクター設定だったのではないでしょうか。

真海の強さ、幸男の弱さ

一方真海は、幸男のブレブレ具合とは真逆で、一切の迷いがない。

復讐のため、ひたすら周到に計画を練り、淡々と遂行していく。

その超然とした強さを、ディーンさんが上手に演じていたのですが、それとは対照的に、幸男は中盤からどんどん弱さともろさを見せていきます。

すみれを愛するゆえに、暖を陥れた幸男。

お金に困って、恩人を家族ごと不幸にした幸男。

幸男だけが、後先考えない、その場の勢いで悪事をしでかし、それ故に自分のしたことに向き合えていませんでした。

それをよく表しているのが、彼の「暖ちゃん」呼びです。

よそものでありながら、すみれを奪った暖を、確かに憎んでいるのに、かつて感じた友情や憧れも捨てきれないでいるんですよね。

「すみれ取り戻して、結婚してからもずっと負けてた」

という言葉にも、幸男が暖の影にずっとおびえ苦しんでいたことがうかがえます。かなわない=リスペクトです。幸男は暖に負け続けていた。

だけど皮肉なことに、真っ白な豪邸で真っ白い服を着て、セレブにふるまっていた幸男よりも、茶色い服を着て、無精ひげを生やして、やけ酒をあおりながらその苦悩を明かす幸男の方がよっぽど魅力的なんですよね。

原作の弱み

さて、ここであえてドラマと比較した、原作の弱みをあげるなら、それはキャラクターが一面的すぎることかもしれません。

悪役は最初から最後まで非情な悪役であり、それをあの手この手で追いつめ、破滅させていくモンテ・クリスト伯はダークヒーロー的存在です。

だから痛快ではあるんですが、それをそのままドラマにしてしまったら、現代劇としては深みが足りなかったかもしれません。

そこで、人並み外れたメンタルの強さを持つ、揺るがない男真海に対して、原作のフェルナンに、人間らしい弱さと脆さを肉付けされたのが幸男だったなら、とても対照的な構図が出来上がるのです。

暖を救おうとした幸男

さて、幸男が死なず、神楽も発狂しなかったことで、暖と神楽、幸男、すみれという同郷メンバーを集めた、ラストの晩餐会が可能になりました。

むしろ、このシーンのために、幸男と神楽は、正気のまま生かされたのかもしれません。

ここで暖の復讐の動機を確認し(例の痛いビデオを見せられる羞恥プレイ)、すみれから暖との結婚を決める言葉を引き出したところで、暖の復讐は完結します。

形としては。

しかし、すみれの「結婚します」という言葉を聞いても暖の気持ちが晴れないのは想定済みです。

だから部屋に灯油をまきちらかしていた。(だいぶ灯油臭いんだろうなあの部屋)

復讐にすべてを賭けていた真海が、そこで自分の人生を断とうとするのは納得です。

そして、その場の感情にすぐに流されてしまう男が幸男なら、暖を炎の中から救おうとするのも道理。

でもそれもいっときの、出来心のような行動で、けして芯から改心したとは限らないのも幸男のキャラクターなのではないでしょうか。

待て、しかして希望せよ

最後に信一朗が受け取った手紙ですが、

「待て、しかして希望せよ」

と書いてありました。

「待ちなさい、そして希望を持ちなさい」という意味です。

しかし原作の手紙はもう少し長く、その一言は全体の末尾にあたるのですが、ドラマでそこは思い切ってカットされました。

一部抜粋します。

どうぞ、おふたりとも、おしあわせにおくらしください。そして、かつて復讐の鬼となった男、だが今では神のご意志のままに新しい生活を送ろうとしている男のことを、ときには思いだしてください。
人間は、生きるということがどんなにたのしいことか知るためには、一度、死ぬほどの目にあった方がよいと思います。

モンテ・クリスト伯が、自分の復讐を完結させ、新しい未来に向かっていることが書かれています。

その文面は非常に穏やかで晴れやか。復讐を終えた満足感と自信を感じさせます。

でもドラマで火を放った真海は、そういった達成感や喜びとは無縁の、悲しい顔をしていました。

つまり、原作のダンテスと、ドラマの真海では、最後の心境に隔たりがあるということです。

それで手紙のほとんどがカットされたのでしょう。

復讐を果たしても満たされない真海。それこそまさにテルミーワーイ。

なるほと、見事にハマっていたテーマソングだったんだなと改めて思います。最初の頃は軽く流しててごめんなさい!(笑)

でもそんな真海こそ、現代劇ならではの見せ方だったのではないかと思います。

古典から現代劇へ

というわけで、古典を現代的に焼き直し、見事に蘇らせたドラマ「モンテ・クリスト伯」でしたが、原作の持つシンプルな、因果応報、勧善懲悪の枠組みをどこまで取っ払ってしまったのか、正直私はわかりません。

たとえば、古典の桃太郎なら、仲間と鬼を成敗して、それでめでたしめでたしでした。

でもきっと現代版の桃太郎なら、鬼の心情や背景に想いを馳せ、討伐の苦しみに葛藤し、結果、桃太郎が人間的に成長する物語になるでしょう。

だから、最後の、神楽と幸男の事情聴取のシーン、二人で口裏を合わせて暖が死んだことにした、という見方もあるようですが、原作から思い切って離れて、人間の成長を描く物語にしたならそれもありなのかもしれません。

とても現代的です。

でも、単純な私の第一印象では、やはり悪人は悪人のまま、しぶとく生き延びたっていう結末なんですよね。

改めてドラマの登場人物を振り返ると、全員に共通点があります。

すみれを手に入れたくて暖を陥れた幸男。

船長の座を奪われまいと悪だくみをした神楽。

自分の出世のために暖に罪を着せ、息子を埋めた入間。

自分の主義主張のために、息子の不正を看過した貞吉。

目先の欲につられ、地上げ、窃盗を働いた寺角。

夫と息子との幸せを夢見て、身内を毒殺した瑛里奈。

そして、過去に受けた仕打ちを返すべく、復讐に燃えた真海。

それぞれに、自分の欲を満たすべく、夢中で行動しているのです。

欲望を満たすこと=幸福、と考えるなら、登場人物のだれもが、自分の信じる幸福のために、それぞれ懸命にもがいていました。

もちろん、留美も、未蘭も、信一朗も。

その、幸福を希求してあがく人間の姿を、善も悪もとりまぜて、禍々しいまでに鋭く描いたのが「モンテ・クリスト伯」という作品だったのかもしれません。

物語のテーマ

だから、「善人も悪人も簡単には変わらない、誰もが自分に都合よく生きていくのが世の悲しさであるが、『待て、しかして希望せよ』」、なのではないかと私は受け取っています。

キャラクターは現代的にアレンジしつつも、テーマは変わらず古典寄り。

暖は、復讐を成し遂げ、「必ず最後に愛は勝つ」という結果を手に入れながら、やはり、失ったものは二度と取り返せない、結局は何も変えられなかった、という失意とむなしさに耐えきれず火を放った、と考えるのが自然な気がするし。

その結末を覚悟したから、いっしょに行こうねって言ってたシンガポール行きの航空券を、土屋の分だけ渡したんだと思うし。(彼氏か)

だから、その気持ちを察した土屋とエデが、真海を助け出したんじゃないかと思います、私は。幸男じゃなくて。

原作でも、最後に真海の心をあたたかく溶かしたのは、ずっとそばにいたエデだったみたいだし。

まあ私はその真摯な愛情をエデよりも土屋に感じてるけども! 愛梨さん、序盤真海にベタベタしすぎ!! 女の武器はもうちょいとっとかな!(笑)

「モンテ・クリスト伯」の真髄

まあとにかく、主題とか解釈とかは置いといても、小説「モンテ・クリスト伯」が、数百年を経て読み継がれ、こうしてドラマ化までされたのは、単純に、面白いから、だと思います。

息つく間もない展開、複雑に絡み合う思惑、湯水のごとく使う金!(笑)

まるでジェットコースターのような物語は、エンターテイメントそのもの

ドラマが、その真髄を見事に再現し、たっぷり味わわせてくれたのは、私がこれだけハマってあーだこーだ言ってることからも明らかです。

しかもそれは、練られた脚本と達者な演技の融合あってこそだったと思います。

おかげさまで私も、暗そう!とずっと食わず嫌いしていた「岩窟王」を、この歳になって読めたことで人生の財産が一つ増えました。感謝です!

以上、大倉くんの次の演技仕事がとっても楽しみな、みはるでした。

それではこれにて!